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ホメオパシーは200年以上前、ドイツに誕生したそれまでの西洋医学とは、全く別の医学体系を持つ療法です。

ドイツ国民の60%がホメオパシーを使用

2009年に行われた調査ではドイツ国民の53%がホメオパシーを利用している事が判明していたが、2015に行われた調査では60%が使用と7%も伸びておりますます人気が高まっています。

それもそのはず、ホメオパシーユーザーの90%以上がレメディーを服用して助けられた経験があると回答しており、特に風邪とインフルエンザへの対処が最も成功を収めていた事が判明したと伝えられました。

ホメオパシーはいたる所に溶け込んでおり、テレビで特集される他、学校の教科書にもホメオパシーが登場します。理論的で科学的な思考を持つドイツ人ですが、ホメオパシーの効果を多くの国民が実感している為不動の地位を獲得しています。

また、ドイツでは医師の20%が時折ホメオパシー・レメディーを処方していると推定されています。

また、花粉症対策で最も人気があるのは、お薬ではなくホメオパシー・レメディーです。
その他、風邪や喉の痛み、循環器系の疾患というカテゴリーでも、薬に混じりホメオパシー・レメディーが上位10位以内に入っています。

ドイツのプロ・スポーツ選手の9割以上がホメオパシーを活用

ドイツ ドイツのプロ・スポーツ選手の9割以上がホメオパシーを利用しており、ブンデスリーガ(サッカー、バスケットボールなど、ドイツ国内スポーツのトップリーグ)の為に働くドクターの92%はホメオパシーを使用しています。

ドイツ・サッカーはワールドカップ2014年大会を含む4度の頂点に輝き、世界屈指の強豪国です。そして、一流のサッカー選手達の心と体のケアにホメオパシーが使われています。

高校生の数学の教科書にホメオパシー

ドイツ ドイツでは高校の数学の教科書に、ホメオパシーの希釈率が、比率を計算する例題として載っています。

また、そこには、ホメオパシーとは何かという説明が、ハーネマンの顔写真と一緒に掲載されています。

ホメオパシーを支える自動車機器の世界トップブランド『BOSCH』

ドイツ ホームセンターで「Bosch」のロゴが刻まれたドイツ製の電動工具を見た事はないでしょうか?『BOSCH』はドイツ人ロバート・ボッシュによって創立された世界最大のシェアを持つ自動車部品と電動工具のメーカーです。 ベンツ、BMW、アウディ、ポルシェ、フェラーリなど、世界一流の欧州車にはBOSCHの技術が使われています。

そして、そのドイツを代表する世界企業のBOSCHこそ、ドイツで生まれた自然療法ホメオパシーを守った企業だという事をご存知でしょうか。 その歴史は、BOSCHの創業者ロバート・ボシュまで遡ります。 ロバート・ボッシュは子供の時から、ホメオパシー以外の治療を受けたことがないと回想しており、ホメオパシーから沢山の恩恵を受けてきました。にもかかわらず、一般の医師達から「ホメオパシーは実証されていない」と不公正な扱いを受けている事に憤りを感じていたと伝えられています。

BOSCHを大企業に育て上げたボシュは、ライフワークとしてホメオパシーの創始者ハーネマンの原論文や手紙や遺品、関連する書物を収集しました。そして、それは世界一大きなホメオパシーの遺産として『ローベルト・ボッシュ財団博物館』によって守り続けられ、現代でも調査、研究が続けられています。

また、最晩年のボシュは、莫大な私財と多くの歳月を費やしてホメオパシー病院の建設に情熱を燃やし、シュトゥットガルト市に『ロバート・ボッシュ病院』を完成させました。開幕式で彼は「人間が治る場所、そしてホメオパシーが振興する場所になって欲しい」とスピーチしました。

ホメオパシーの誕生秘話

ホメオパシーの父ハーネマンの生い立ち

ドイツ ホメオパシーは厚い信仰心を持ったドイツ人のハーネマンによって生み育てられた自然療法です。

ハーネマンは磁器の街として有名なマイセンの貧しい磁器の絵付け師の家庭に生まれました。家庭は経済的に苦しく、父は息子が上級の学校に通う事を諦め自分の労務を手伝う事を望んでいましたが、真理への探究心を持っていた青年は上級学校で学ぶ事を望みました。

家からの支援は全く期待できない状況でしたが、青年の非凡な才能と強い精神力を見い出した教師が、住み込みで家の手伝いをする事を条件に学費免除で高等教育を受ける機会を与えてくれました。

大学医学部へ進学する事を望んだ彼は、類まれな語学力を活かし、医学書の翻訳で学費を稼ぎ、入学卒業する事ができました。また、臨床医としての技術を向上させる事を願った彼の姿勢が修道院の病院長の目にとまり、特別な好意により、在学期間中に数多くの臨床研修を積む幸運にも恵まれました。

このように、厚い信仰心と誠実さ、真理への探究心を持っていたハーネマンは人生を通して幾度となく大きな導きのようにして道が用意されました。

若きハーネマン 西洋医学への失望と挫折

若き日のハーネマンは医師として病気に苦しむ人々を助ける事に情熱を持っていましたが、彼が臨床現場で見てきた事は、当時の主流の治療法であった瀉血や水銀治療によって患者が衰弱し生命力を失い、より複雑で治療が難しい医原病が作られてしまうという現実でした。それよりも、衝撃を受けた事は、自分と同じようにその現象を観察しているはずの医師が、自らの観察と体験から何も学ばず、医学校で教わった措置を盲目的に行っているという実態でした。

民間療法と錬金術をベースに『経験の医学』ホメオパシーが誕生

ドイツ ハーネマンは大変苦労して医師になったので挫折感は相当なものだと思います。彼は苦しみ葛藤します。自分の心を欺き医師として生きる道もありましたが、彼はそれまで学んだ医学を徹底的に批判し、完全に捨ててしまいました。

ハーネマンは西洋医学とは完全に袂を分かっただけでなく、自らも盲目的に学んできた事を反省し、以降の人生では、立派な権威者の主義主張から学ぶのではなく、当時の医師達から蔑まれていた民間療法に残された記録を自ら体験し精査する事を繰り返すと共に、錬金術からインスピレーションを得る事で全く新しい医学体系を構築していきました。

彼は様々な観察から「健康な人に投与して、ある症状を起こさせる物質は、その症状を取り去るものになる」という法則を発見し『同種の法則』と呼びました。

この新しい医学の礎となる原理を基に治療薬を発見する為、彼と彼の弟子達は、薬草や毒草、毒物などを実際に自ら摂取し、どのような症状を引き起こすかを記録、観察しました(プルービング)。

その他にも『量の法則』『作用反作用の法則』など森羅万象の中に宿る法則を発見し、それを使って新しい治療法を体系立てていきました。

ハーネマンとその弟子達が、自らの身を挺して行った人体実験の記録が、病気を治療する為の最も重要なツールである『マテリア・メディカ』(レメディーの薬効書)となり、今日まで受け継がれております。

西洋医学が『権威の医学』なら、ホメオパシーは『経験の医学』だと言われる由縁はここにあります。

ハーネマンを尊敬していた文豪ゲーテ  ドイツ国内に広がるホメオパシー

ドイツ ハーネマンは診療での観察を通してホメオパシーの治癒力向上に努めていきました。次第に治療効果を実感した人々の口コミが広がり、弟子達も増えていきました。

ハーネマンの診療室には、対ナポレオン戦争で功績のあった当時の国民的英雄まで訪れるようになり、その名声はますますドイツ各地に広がっていきました。

偉大な文豪であるゲーテは、ハーネマンと同時代の人です。

彼の手記には「フランクフルトの宝石商も、いまや世界に名をはせる医者となったライプツィヒのハーネマン医師の理論を耳にしたに違いない。……いまではわたしはこの優れた医師の理論を、かつてないほど固く信じており、……ごく微量の投与がもたらす効果を、これからも自らの体ではっきりと実感していくだろう」と記しています。また別の手紙では自分自身を「ハーネマン学派の門下生」と称し、戯曲『ファウスト』のなかでも、主人公メフィストフェレスは、「どのような病であれ、類似のものを望むことだ。そうすれば何らかの助けが得られる」と、ホメオパシーの類似の原則に明確に言及し、ホメオパシーの基本原理を強調しています。

既得権益からの弾圧

物質を天文学的に希釈振盪して治療に用いるハーネマンの理論は、西洋医学の医師達には『非科学的』にしか思えず、『荒唐無稽』で効くはずがないと笑いの種でしかありませんでした。しかし、ホメオパシーの効果を多くの国民が実感し、勢いよく広がると無視できない勢力となっていました。それだけでなく、医師の中にも当時は恐れられていた猩紅熱(しょうこうねつ)に対してホメオパシーを用いたところ「その有効性は反論の余地がない」とする論文も数多く提出され、理論的には納得していないものの、ホメオパシーを擁護する医師が多く現れた事から医師会の足並みが崩れつつありました。

ホメオパシーが多くの国民に認知される事は、医師達だけでなく、製薬業者達も自らの特権を脅かす脅威と感じておりました。利害関係の一致する両団体は、ホメオパシー勢力に対し組織的な弾圧を開始しました。

ホメオパシーに対して、激しい誹謗中傷が行われただけでなく、医師達は政府に働きかけてホメオパシーの診療を禁止するよう働きかけました。

当時のドイツは医薬分業が明確に行われておりましたが、ホメオパス(ホメオパシーの専門家)達が処方箋を書いても、製薬業者達はレメディーを製造する気がなかった為、ホメオパス達は独自に製造しておりました。このホメオパス達の行為が違法であると製薬業者達は国に訴え、ホメオパス達によるレメディー製造を禁止する事でホメオパシーの衰退を望みました。

この工作活動により、ドイツの多くの地域でホメオパシーが行えない状況となり、ハーネマンと弟子のホメオパス達は追いつめられました。しかし、幸運にもプロセイン王国においては国王自らがホメオパシーを擁護し、特別にホメオパスによるレメディー製造に許可を与える規定を設ける措置がとられました。

この為、ホメオパシー反対派達はホメオパシー勢力を根絶する事ができず、諦めざるをえませんでした。

このプロセイン王国の規定はその後も維持され、統一後のドイツ帝国にもそのまま適用されました。こうして、ドイツでホメオパシー治療をするうえでの最も重要な基盤ができあがりました。

参考

▼ホメオパシー:経験が研究よりも重要。 ドイツでは国民(成人)の48%がホメオパシーを利用!

▼サッカーワールドカップ優勝のドイツチーム その強さの秘訣にはホメオパシーによる心身のサポートがあった

▼(翻訳)ドイツ ブンデスリーガに働くドクターの92%はホメオパシーを使用 ドイツ

▼ホメオパシー的健康生活 ドイツ高校生は、ホメオパシー希釈率の例題で数学を学習!

▼Studie: Homoopathie immer beliebter

▼ドイツのテレビでは人間に加え、畜産、農業でも有効ホメオパシーを特集
(言語 ドイツ語 英語字幕)
Video describing the validity of homeopathy in the treatment of animal and human diseases. Documentary by the south German BR television.
https://www.youtube.com/watch?v=uwwdpnh7Uq4

▼ドイツではホメオパシー医学の祖ハーネマンの生い立ちの特集番組を放送(ドイツ語)

参考文献

▼ハーネマン(ホメオパシー出版)
ハーネマン

▼世界の一流有名人がホメオパシーを選ぶ理由(ホメオパシー出版)
世界の一流有名人がホメオパシーを選ぶ理由

▼ドイツ「素人医師」団 人に優しいホメオパシー(西洋民間療法) [講談社選書]

手を繋ぐ日本とドイツのホメオパシー

▼ホメオパシー的予防(英語版)
ヨーロッパ最大ホメオパシー出版社ベストセラー第2位!(2016年3月24日)


ヨーロッパ最大ホメオパシー出版社、ナラヤナ出版(ドイツ)で、
由井学長著「ホメオパシー的予防」英語版が、ペストセラー第2位となりました! ドイツ

▼2012年度 CHhomドイツスクーリング(2012年11月6-14日)

概要:2012年度のCHhomスクーリングはドイツで行われました。
ホメオパシー発祥の地であるドイツにてハーネマンの足跡を由井学長と共に訪ねました。 ドイツ

▼ハーネマンの住んでいたケーテンの街(ドイツ)に建つホメオパシー図書館に
由井寅子先生監修の「医術のオルガノン日本語訳」が唯一の日本の書籍として展示されております(2012年11月8日)

ドイツ

▼日独ホメオパシー国際カンファレンス(2012年11月10日)

概要:サミュエル・ハーネマンが生まれ育った国、ドイツにてホメオパシー生誕222周年記念、日独カンファレンスが開催されました。

会場は、ストゥットガルトから車で約1時間程の街、プフォルツハイムです。

ドイツのホメオパス、日本からの参加者も交えて100名近くのオーディエンスが会場を埋め尽くしました。 ドイツ

▼『予防接種トンデモ論』のドイツ語版が、ドイツで大反響!(2012年1月26日)

概要:『予防接種トンデモ論』由井寅子先生のドイツ語版がドイツのナラヤナ出版
(世界最大のホメオパシー関連書籍の出版社)から2012年1月9日に出版されました。 ドイツ