[リストへもどる]
一括表示
タイトルホメオパシーには方法がある。これを合言葉に、皆さんともに祈りと力を合わせて乗り越えましょう。
記事No3515
投稿日: 2011/03/27(Sun) 15:15
投稿者女性・33・鹿児島県・とらのこ会
こんにちは。 この度は震災で被害を受けられました皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。
さて、今回の事は多くの方々に大きなショックと悲しみを与えた琴と存じます。
しかし、同時に現実と向き合う為の大きな気づきとなったのではないでしょうか。
今回、真っ先に 案じたのは東北在住のホメオパスのことでした。 お会いした事はありませんが、ご無事をお祈り致しております。
また、鹿児島では喜入の石油備蓄基地から被災地へ優先的に石油を供給するという話を聞きました。
私は
「むやみに車で外出するのを控えよう」
「被災地では救急車が走ったり、移動するのに必要なんだからしかたない」 
と思いましたが、中には自分の事しか考えていない(メタボな)人もいて、文句を言っていました。
見かねて、他の人が
「でも、向こうは大変なんだから」と言うと、わたしも思わず
「あの映像を見たら何も言えないよね」と云い、その場が静かになりました。

今、一人ひとりが自分にできる事を考えて実行する事が必要だと存じます。
そんな中でホメオパシージャパンさんの行動力には感動して涙が出ました。

ホメオパシーには方法がある。
これを合言葉に、皆さんともに祈りと力を合わせて乗り越えましょう。
こんな時だからこそ、ホメオパシーの恩恵が必要とされているのです。


管理人
掲載遅くなりました。ご投稿ありがとうございます。
言われるようにホメオパシーには方法があります。PTSDや放射線にもホメオパシーは有効です。
日本ホメオパシー医学協会にも体験談が寄せられているようです。
http://www.jphma.org/gienkatsudo/taiken.html
本当に一人一人が自分に何ができるかを問いかけてできることを実行していくことが大切と思います。
由井先生は2011/4/1(金)〜4/3(日)に福島、宮城、岩手を訪れ無料講演を行います。
http://www.homoeopathy.ac/11reserve/20110402_sendai.php
また、放射性物質で汚染された土壌改良にレメディーやひまわりや微生物を組み合わせてより早く解毒できないか試みようとしています。
直接的、間接的を問わず、またほんの小さなことでもいいと思いますので、ひとりひとりがまずは自分に何ができるだろうかと考えできることを実際の行動に移すことで大きな力になっていくと思います。例えば祈りもそうかもしれません。
人体への放射能の害が現在どれくらいで最終的にどれくらいになるのかわかりませんが、もし将来大きな問題に発展する可能性があるのであれば、早くレメディーが入ることが大切ですので、ホメオパシーが放射線の害に有効であるということが広く知られることを願っています。

タイトルRe: ホメオパシーには方法がある。これを合言葉に、皆さんともに祈りと力を合わせて乗り越えましょう。
記事No3517
投稿日: 2011/03/29(Tue) 16:59
投稿者女性・33・鹿児島県・とらのこ会
こんにちは。 先日は掲載有難うございました。 
あれから思ったのですが、人間はこういう時に真価を試されているのではないでしょうか。 
斉藤啓一先生はご著書「フランクルに学ぶ」の中で、「人は極限状態に置かれた時にその本質が明らかになる」と仰っています。
フランクルは、ドイツのヒトラーの政策による厳しい収容所生活の中で苦しい思いもしたけれど、最終的に人類を救うものは「愛」だと気付いたそうです。
 例えば、寒さに凍えながらも、自分よりひもじい思いをしている人に、その少ない配給分からパンを分け与えた人。 過酷な強制労働の帰り道、極寒の地で咲く一輪の花に生命の尊さを見出した人。 そして、身も心も疲れ果てていたある朝、昇る太陽の光に皆が感謝して涙を流した事。 
こんな小さな出来事が、人の心に一条の光をもたらすのです。

もちろんそれが分からなくなっている人もいます。
しかしホメオパシーに関わる私たちはそこに視座を置き、人の心の痛みを理解する事の出来る人間になりたいと思うのです。 

いま被災地での活動をする事は出来ませんが、まずは家で出来る小さな事(例えば節電、節水、節約など)に大きな祈りをこめて(と、故マザー・テレサは仰いました)、日々の生活を送りたいものですね。

又、そういう事を教えるためにこのような出来事が起こっているとも考えられるのではないでしょうか。
人災・自然災害などは人間の欲の結果だとも言えます。
だからといって罪悪感になったり自己卑下をする必要はなく、むしろその逆かもしれません。
以前、高齢者とそのお孫さんが数日(確か約10日程)ぶりに救出されたというニュースを聞きました。
その時、私は流れる涙を禁じ得ませんでした。 こんな時に、「人はただ生きているだけで完全な存在なのだ」という事を理解できるのだと思いました。
 
人間だけが多少の事に動揺し、日常の満たされた生活の中でさえ「あれがない、これがない」と言います。
しかし、野の草花が自分の姿に文句を言うでしょうか。
ただ生きて、時がくれば散っていく、そんな潔さの中に自然の偉大な愛が隠されているように思うのです。  

大した事ではありませんが、小さな気付きを投稿させて頂きたくてメール致しました。 


管理人
貴重な気づきをシェアしていただきありがとうございます。
皆さんも気づいたことがありましたらご投稿お願いします。